アナログ人間『ツカタ』の、だめだめな日々。

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デジタル生活 170日目

自分でも、よくわからないのだが、
なにかに追いつめられて
いたようだ。

どれだけ、頭でバランスをとろうと
微調整しても、自分の中身が
勢いを失い枯れていき
虚無感に支配されていた。


いろいろ、あがいた末
ふと、前に買って家にあった
『禅語』という本に、目がとまる。

禅に登場する言葉を
解りやすい平易な解説と
美しい写真で、綴った本。
ちょっと前に書店でよく見かけたので
わりとポピュラーな
本なのだろう。

それほど期待する気もなく
ページを開く。

『浄裸裸赤灑灑(じょうららしゃくしゃしゃ)』
という言葉が、目にとびこんでくる。

『きれいさっぱり、洗い流したように何もない』の意味らしい。
解説では
『心にゴチャゴチャと持っているものをすべて放り出して、
手放してしまえ、ということだ。そうすれば、清々として本来の心のままに生きられる、
(中略)
大切なのは、そんな「持っているもの」をすべて捨てたときに、剥身の人間としてどうあるか、ということなのだろう。この『浄裸裸赤灑灑」という言葉は、その様をまるであかあかと表現している。』
とある。

よくわからない、よくわからないのだが
どこかが私の心にヒットしたらしい。

気がついたら、号泣していた。

きっと、心の中によけいなものが
溜まっていたのだ。解っていても
自分ではどうすることもできなかったそれを
この言葉が、外から作用して
解き放ってくれたのだと思う。


前に、お経はその言葉の意味だけでなく
口に出してその音の響きをとなえることそのものが作用だと
きいたことがある。般若心経の一部
『ぎゃーてーぎゃーてはーらぎゃーてー』は
音にこそ意味があって、言葉自体に意味はないと聞いたと
記憶している。
(もし、間違ってたらスイマセン。ききかじりです)

そう考えると、この言葉、
『浄裸裸赤灑灑』も
「ジョウララシャクシャシャ。」
と、唱えると何かそれだけで
心のなかの澱を、洗い流してくれるような
音だなぁと、感じたりする。






禅語
文 石井ゆかり   発行元ピエ・ブックス
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2010.06.30 / Top↑
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